1997年~2005年に掛けて活動していたsupercar(スーパーカー)というバンドのお話。
当時、変革期を迎えつつあった日本の音楽シーンでスーパーカーの存在は他のギターバンドとは明らかに違った輝き(存在感)を見せており、
結成 → デビュー → 解散までに至る過程で、新しいテイストを取り込んではシフトしていく卓越した音楽スタイルに多くのリスナー、バンドが魅力され影響を受けていました。
他のバンドがやろうとして出来なかった事、やりたくても出来なかった事をスーパーカーは自分達の手法で表現していた云わばセンスの塊の様なバンドです。
男女ツインボーカルの先駆者でもあり、日本の音楽シーンにおいてこれまでにスーパーカーの様なバンドは居なかったし、これから先もきっと現れないでしょう。
「こういうバンドが居たらいいな」と誰もが思い描いているバンド。
それがスーパーカー。
後世に語り継がれるべきバンドだろうし、今の若い世代にもぜひ一度は触れて頂きたい音楽の一つでもあります。
おすすめ楽曲10選
1.cream soda(1stマキシシングル)
2.my way(アルバム「スリーアウトチェンジ」収録)
3.walk slowly(アルバム「JUMP UP」収録)
4.Sunday People(5thマキシシングル)
5.summer tune(アルバム「ookeah!!」収録)
6.FAIRWAY(8thマキシシングル)
7.white surf style 5(9thマキシシングル)
8.PLAYSTAR VISTA(アルバム「Futurama」収録)
9.AOHARU YOUTH(12thマキシシングル)
10.ANTENNA(15thマキシシングル「last scene」に収録)
スーパーカー(supercar)とは
1995年、青森県八戸市にて結成された男女4人組バンド。
1997年9月21日SONYレコード系列のレーベルdohbdiscsより満を喫してデビュー。
デビュー当時、メンバーの平均年齢は19歳。
(デビューまでにライブ経験は一度もなかったが、レコード会社に送ったデモテープがきっかけで関係者の耳に止まる。関係者のみに披露されたライブは渋谷GIG‐ANTICで行われた。)
ちなみにdohbdiscsにとって、スーパーカーは当時レーベル存続(社運をかけた)の掛かったアーティストでもありました。
スーパーカーが当たらなければレーベルは無くなってしまうという状況でしたがスタッフ一同、一丸となって売り出した結果、時代の流れにも見事ハマリ、スーパーカーはレーベルの危機をも救ったのです。
その後、多くのライブを展開し、フジロック、ライジングサンなどの野外フェスにも参加しています。
解散までに発表した作品はシングル16枚、アルバム7枚。解散後、企画盤として3枚アルバムがリリースされており、センスある楽曲達はミノルタのCMや映画『ピンポン』、アニメ『交響詩篇エウレカセブン』などでも起用されています。
メンバー
中村弘二(ナカコー)
ボーカル、ギター、作曲担当。
ギターはテレキャスターカスタムを使用。
ギターアンプは日本ハモンド社のチューブアンプjuggbox stuff060gを使用。
解散後はILL、koji nakamura、フルカワ達と結成したLAMAなどでも活動中。
ソロのライブではsupercar時代の楽曲も演奏している。
いしわたり淳治
ギター、作詞担当
メインギターはモズライト。ギターアンプはfender社のhot rod devile
解散後は、チャットモンチーや9mm Parabellum Bulletなどのプロデューサー業をしつつも、superflyやSUEMITSU & THE SUEMITHなど多くのアーティストに詩を提供している。
尚、執筆した本『うれしい悲鳴をあげてくれ』は10万部を超える大ヒット。
フルカワミキ
ベース、ボーカル担当
解散後はソロ、中村達と結成したLAMAなどにて活動中。ユニクロのCMにも出演していた。
YAMAHA社からフルカワミキモデルのベースが販売されていた。
田沢公大
ドラム担当
解散後はユニットaMにて活動していたが、現在は地元青森で就職をしている。
シングル『love forever』のB面『sleeping bag』では作曲を担当していた。
音楽性
初期は轟音に近い歪んだギターと力強いドラミングが特徴。
デビューまでに楽曲のストックは200曲程度あり、初期のデモ音源についてはナカコー氏と田沢氏の二人がメインで楽曲製作をしていたそうです。
メンバーが影響を受けたアーティストはDinosaur JrやSmashing Pumpkins、oasisなど。
作品をリリースする事に新たなテイストが加えられ、中期以降エレクトロニカ、アンビエントミュージック、電子音楽、クラブミュージックなどの要素を巧みに落とし込み、バンドサウンドと見事に融合させていました。
後期はシンプルながらもリズムとギターのクリーントーンにこだわりを持った楽曲が特徴。
スーパーカーの魅力
日本のメジャーシーンで初めて洋楽の匂いを感じさせるバンドとして進出してきたギターバンド。
抜群のメロディーセンスは必見です。
楽曲の良さとアレンジにおけるセンスはシーンの中でも飛び抜けた存在でした。
類似するバンドが見当たらないし、後にスーパーカーっぽいと形容されるバンドは出て来てますが、彼等を超えるような存在は未だに出てきていないのが現状ではないでしょうか。
卓越した音楽性が注目されがちですが、私としてはギターのいしわたり氏が書き上げる歌詞があってこそのスーパーカーの楽曲と睨んでいます。
歌詞における発想、言葉の選定、組みたて方、造語、韻の踏み方、英語や記号との絡め方など、もはや学者というか、天才に相応しいライティング能力です。
そして不思議といしわたり氏が書き上げる歌詞は魔法がかかったようにスーパーカーの楽曲にマッチしています。
またドラムの田沢氏の貢献度も非常に大きかったのではないでしょうか。
シンプルながらも力強い独特のタイム感で繰り出されるドラムはアナログとデジタルの融合を絶妙に実現し、楽曲の良さをより引き立てています。
まとめ
日本における最高峰のロックバンドと自負しております。
フジロックなどステージ上における4人の風貌というか立ち姿は20代ながらも貫禄があり堂々としていたのがとても印象的でした。
周りが騒いでいながらも本人達は至って冷静で、むしろ若干冷めた感じが漂いつつも、難しい事を斬新的にやってのけてしまうサマは本当にかっこよかったです。
スーパーカーの楽曲はある周期的に聴きたくなるし、昔の楽曲を聴いて時代を感じる事はあっても、古さを感じさせる事はありません。
中期以降、解散に至る過程でメンバー間の軋轢、分裂など、様々な事が云われておりましたが、真実は限られた人にしか解らないし、私にとってはどうでもいい話かとなぁと。
解散は非常に残念であったけれど、出来ることなら全てのしがらみが無くなった時にでも、また4人で集まって、サラッとライブをして頂ければこの上ない喜びです。
スーパーカー愛しています。
その他、以下関連記事もありますのでもし宜しければお読み下さいませ。
以上、最後までお付き合い下さって誠にありがとうございました。
コメント (お気軽にコメントして下さい)
>> 初期はナカコー氏と田沢氏の二人で楽曲製作をしていたそうです。
上記ですが、「中村弘二(ナカコー)といしわたり淳治の二人で楽曲制作をしていた」の間違いではないでしょうか。
バンドのストーリーとしても非常に大事な箇所なので、訂正をお願いしたいです。
当サイトに足を運んで下さって、誠にありがとうございます。
併せまして、ご指摘の程どうもありがとうございます。
内容について、http://natalie.mu/music/pp/supercar/page/3
こちらを参照しておりましたが、私の表現が誤解を与える事になってしまい申し訳ございません。
以下の様に訂正させて頂きます。
・変更前:初期はナカコー氏と田沢氏の二人で楽曲製作をしていたそうです。
・変更後:初期のデモ音源についてはナカコー氏と田沢氏の二人がメインで楽曲製作をしていたそうです。
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