「どうにかなるさ」平凡な中年サラリーマンの日常

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人生の中でプロサッカー選手を夢見た頃に出会ったJリーガー達

      2019/03/24



その昔、サッカーというスポーツを通じて出逢った仲間達とそこから学んだ多くのコト。


それは簡単には得られない尊い何かであって。


手にとって解りやすく形にして現わせないけれど、私の人生にとっては今でも生きる上での一つの糧となっています。


今回は、先日投稿した記事内で宣言していた「番外編」として実体験からなる、ちょっとしたエピソードを紹介していきます。


大げさな雰囲気の漂うタイトル。


しかし、私自身は現在普通のサラリーマンなワケで。


ただ、10代の頃サッカーがきっかけとなり、比較的早い段階で自分の将来と向き合い、夢に向かって切磋琢磨していた時期があったということ。


若かりし自分には上手く消化出来なかったほろ苦い「挫折」の味も含めて。


それでも、今振り返ってみれば、その時の記憶は色褪せる事なくキラキラしていて、全てが青く、愛おしくもあります。






ゴールデンエイジ(黄金世代)と呼ばれた世代


私の生まれた1979年は、サッカー界において後に黄金世代(ゴールデンエイジ)と呼ばれる才能豊かな選手達が多数輩出された年でもありました。


小野伸二氏、稲本潤一氏、高原直泰氏、遠藤保仁氏、小笠原満男氏、中田浩二氏、本山雅志氏が世間では認知度の高いプレイヤーになりますでしょうか。


一学年上には中村俊輔氏(現ジュビロ磐田)、二学年上に中澤祐二氏(現横浜マリノス、2010南アフリカワールドカップではトゥーリオ選手と歴代最強のDF陣を構築しベスト16進出に大きく貢献)、そして三つ年上になると中田英寿氏など。


ワールドユースでの準優勝、シドニー五輪ベスト8、日韓ワールドカップベスト16など日本サッカー界において史上最強と称された世代。


海外でプレーする意味合いを深く日本のサッカー界に刻んだ、影響力を持った選手達が多数ひしめき合っておりました。


まぁ、その後の未来を知るわけもなく、私は小学校一年生の頃、キャプテン翼の影響でサッカーを始めることに。


キャプテン翼の影響8割、2割は4歳年上の兄がやっていたのでなんとなく。(まぁ少年サッカーってそんなものですよね。兄弟がやってたから的な。)




辞めるつもりでいたサッカー


動機がそんな理由だったので、試合には出場させてもらっていたものの、小学校3年生辺りから目的がよく解らなくなって、何が楽しいのかを見出せないまま、ずっとプレーしていました。


何となく、練習に参加して。


周りが上達していく中、一向に上手くならない自分自身にも嫌気がさしてきます。
(次第に消極的なプレーが目立つ)


「これはもう小学校卒業したらサッカー辞めてしまう」なっていう構図が出来上がっていまして、


そんな時間軸の中、チームは同学年に良い選手達が集まっていた事もあり、県大会(千葉県)を制覇し始める事となります。


全国大会へ出場したり。


それでも私の気持ちは変わらず。
(「家でファミコンしていた方が楽しいのに」といつも考えていた)


今思えば、自分の事しか考えられない、わがままで可哀そうな人間でした。(感謝の気持ちが皆無)



ある指導者との出逢いによって、サッカーの楽しさを見い出す


それが、小学5年生に進級する頃、ある一人の指導者との出逢いによってそれまでの気持ちに変化が表れます。


現在ヴェルディS.Sレスチの監督を務める横山賢太郎氏との出逢いです。


横山コーチはフィールド以外での振る舞いや目上の方に対する礼儀作法なども教えて下さいました。


従来のトレーニングメニューが全て変わり、一つ一つのプレイと向き合い責任を持つという意識改革。


考えるサッカーとの出逢い。


考えるサッカーを実現する為のあらゆる要素を盛り込んだ技術指導など。


最初は良く解らなかったけれど、一年後、自分でも感じ取ることが出来る程、「余裕」が生まれている事に気づきます。


イメージ通りに体が反応し、体現できる喜び。


そして何より、横山コーチのおかげで「初めてサッカーが楽しいと感じる事ができました。」


気がつけばほぼ毎日サッカーをしている事に。


遊びもサッカー。夜は公園で自主練。


(ちなみにチームの練習は週4回、夏休みはほぼ毎日でした)


そういえば、私のポジションは「左サイドバック」、ごくたまに「中盤」。


小柄な私がDF?。


特に足が早いワケでもなく、卓越した足元の技術があったわけでもなく、何より背が小さい。(小6で140cm位)


それでも自信を持ってプレイする事ができました。


それは上述しました「イメージ通りに体現できるから」です。


公式試合、招待試合が増え、横山氏の計らいで一つ上のカテゴリである中学生(ヴェルディ、マリノス、レイソルなど)との練習試合の機会も増えていきました。


中学生にはボッコボッコにやられる。(0-3とか0-5)
(ただ、この時期って一つ学年が違うだけで、果てしないアドバンテージを感じましたね。)


それが、自分の中の闘争心にいっそう火をつけるワケで。


ちなみに少年サッカーにおいてよく耳にする保護者が口を出す風潮、


横山コーチの手腕と実績から私の所属していたチームでは皆無でありました。(それとも、私が知らなかっただけでしょうか)
※しかし、市の選抜に当時10人以上選出されほぼ全員が試合に出ていた事は、市内他チームの保護者からバッシングを受けていたそうです。(実力が全てとはいかないようですね。)

後に選抜チームは分裂する事に。



イメージ通りのプレイ


私は試合の中で自分のところへボールが来る前に必ず3つの選択をその場の状況に合わせて考えていました。


一つは確実に成功する選択、次に5割程度成功するであろう選択、最後に一か八かの選択。


こうする事によって、余裕を持ってゲーム(試合)の流れに入り込み事が出来ました。


その時の状況や対峙する選手の特徴、仲間の状態などを踏まえて、頭の中で想像(イメージ)して瞬時に選択をして表現する。


その繰り返しです。これがまた楽しい。


少しでもズレが生じればそれを補正する為の鍛錬。



当初、進路は柏レイソルを希望していた


何だかんだで自分は地元中学校の部活動でいいっしょと考えていたのですが(逃げていた)、当時レギュラー全員がクラブチームへの進路(ジェフ、レイソルが多かった。他はヴェルディなど)を選択していたので、空気を読んで私も同じ流れに乗っかります。


自宅から一番近かった柏レイソルへエントリー。


しかし、レイソルのセレクション直前に行われたジェフ市原(中学生)との練習試合がきっかけで、ジェフを受験する事になりました。(本心はレイソルに行きたかったけれど、誘われたらNoと言えず。)


そして合格。



名立たるJリーガー達との出逢い


そして、中学校への進学と共にジェフ市原へ。


学校が終わったら電車に乗って練習場(舞浜のクラブハウスか谷津のグラウンド)に通う日々が始まり、


そこで多くの才能達と出逢う事になります。


そりゃ、上を目指して入団してくる限られたプレイヤー達が集うわけですから。(自分は別として)


世の中広いなぁという意味を生まれて初めて身を持って痛感する事となりました。


最終的にプロに昇格したチームメイトは同期に村井慎二氏(ジュビロ磐田時代にA代表へ召集される)、酒井友之氏(ワールドユース準優勝、シドニー五輪ベスト16のメンバー、A代表実績もあり)、一学年上には中村直志氏(名古屋グランパスエイト、A代表実績あり)、一つ下の年代には現在もヴァンフォーレ甲府で活躍を続ける山本英臣氏など。


その後プロの道へ進んでいく選手達はやはり当時から輝きを放っていました。


プレーの質が違うと言いますか。


村井氏であれば、足元の技術、ライン際でのボールを扱うプレーに特筆したものがありましたし、酒井氏であればその安定したボディバランスから、当時からムラのない質の高いプレーを見せていたし。


直志先輩は技術は勿論、寡黙で怖いイメージが強かったのですが、、、ピッチ外では「これ、お前にやるよ」って、ユニフォームを私に下さる優しさがあったり。


その後、直志先輩は市船へ進み、日大から名古屋グランパスエイトへ進んでいく事となります。


英臣はプロになった今も20年ぶりに会った人間を忘れる事なく、自分から声を掛け挨拶をする懐の深さには一流の立ち振る舞いを感じました。


そして、あの長谷川太郎氏(柏レイソル)とは中学生の頃、最初の出逢いが。(後に高校でクラスメイトに。ちなみに太郎氏のチームメイトには、後にプロアーティストとなるナオト・インティラミ氏も在籍していた。)


入団して間もない頃の練習試合や、印象的だったのは日本クラブユース選手権(U-15)の予選で(会場は当時の市船グラウンド)、同じ一年生なのに早々レギュラーとして試合に出て輝きを放っていた太郎氏。


ジェフコーチ陣も太郎氏のプレーを称賛していました。(これ本当の話)


これは1992年のお話しでありまして、




次の年に開催された1993年大会は、予選を勝ち抜いたジェフ市原は決勝トーナメントが行われる本戦(長野県白馬市で開催)へ。


結果、準優勝。


万年2軍の私も帯同していましたが、やはり試合には出れず。


それでも集合写真には写っていたので、その写真はサッカーダイジェストやサッカーマガジンに掲載され、ちゃっかり小さく全国紙デビュー。


この年の優勝チームは横浜マリノスで、あの有名な中村俊輔氏(現ジュビロ磐田)もいらっしゃいました。





その後、私自身は、大した結果も出せず、ユースへ昇格する事なく解雇。


ジェフを去る事に。


挫折。


たらればとなってしまいますが、中学生以降も横山コーチの元で鍛錬していたら、未来が少しは変わっていたのかなぁなんて思う事もありましたが。


ジェフで任される機会の多かったリベロというポジション。


環境の変化、与えられたポジションに順応するのがプロの世界。


でも、好きになれなかったし苦手意識が最後まで克服できませんでした。


結局は自分自身の実力不足だったんですけどね。



長谷川太郎というストライカー


当時柏レイソルの長谷川太郎氏、後に高校(流通経済大学付属柏)で出逢うことに。


プレイヤーとしての凄さを改めて目の当たりにしたのは、高校でのクラス別対抗の球技大会(サッカー)。


ただの球技大会と捉えていたのですが、何ていうか、優勝しなかったら自身のこれまでのサッカー経験に自分で泥を塗る様な感じがして。


負けたら、恩師や昔一緒にプレーしていたチームメイトの誇りにも傷がつくなぁなんて本気で考えたりもしたり。笑


結果、ガチですよね。


何が何でも負けたくなかったんですよね。


そういった気持ちの部分は、特に口には出しませんでしたが、プライドを持って試合に望みます。ただの球技大会に。


というより始まってみると他のクラスもガチガチでしたからね。(特に決勝)


ノックアウト方式(トーナメント)で一度負けたら即終了。


必然的にサッカー部に所属している生徒が多いクラス程有利になります。


私のクラスはサッカー部に所属していた生徒が二人(内一人はほぼ素人)、当時地元の社会人サッカーで趣味程度に続けていた私、そして太郎氏。


うわー、これ無理だわ―なんて思ったりもしたんですけどね。


結果として優勝するんですけど、決勝戦での太郎氏のキレに別格さを感じましたね。


私もそれなりの環境で良い選手を沢山観てきたので一瞬で悟りました。


圧倒的な格の違いを。


まるでメッシのように対峙する選手を次々と交わしていくんですよ。


誰もボールを取れなくって。本当に。


普通、ボールを持っていない人間の方が有利なんですけど。


その時、「あー、こいつ決勝まで抑えてたんだなぁ」っていうのも何となく解ったり。


個人的に凄いなぁと感じたのが、ドリブル。(それまでは割と簡単にプレーをして巧みな動き出しと絶妙なポジションニングでゴール前に顔を出すイメージが強かった。)


タッチも柔らかいんですが、キレと独特のリズム。そして瞬間的なスピード、反応速度が圧倒的でしたね。


対峙した相手が確実に嫌がる(脅威を与える)ストライカーであると。


チームメイトで良かったなぁと心底感じた瞬間でした。


決勝戦の相手にはサッカー部に所属していた生徒がゴロゴロ居るワケで、押し込まれる時間帯が多かったんですけど。


太郎氏のプレーには試合の流れを変える力があったし、


私はどちらかというと、周りが生かしてくれるタイプのプレイヤー、太郎氏は自ら流れを作り周りに良い影響を与えるプレイヤー。


だから、余計に勝ちたいなと。


太郎氏のプレーに応えなければいけないという使命感にもかられていました。


結果、決勝点はなんとバスケ部所属の谷内君(身長190cm位)。


みんなが一つになった瞬間でした。


家族や仲間、指導者に恵まれたからこそ


経験できたこと。


父は私が小学4年生頃からは、練習、遠征の送り迎えなどいつも一緒に居てくれてたし。


仕事で疲れてたのに、土日は私に時間を割いてくれて。大変だっただろうなぁ。


私のこの命を繋いでくれたのも父だったしなぁ。(小学生の時、川で溺れ、どんどん視界が狭まっていき、光が遠のいていく中、救ってくれたのが父でした)


そんな時も父はニコニコしていたなぁ。


私とは正反対で、社交的だった父。ありがとう。



編集後記(まとめ)


その後、私は音楽へのめり込んでいき(今はサラリーマンだけど)、


勿論、当時のチームメイトもそれぞれの人生を歩んでいくわけですが、


ある仲間はサテライト契約(プロ二軍)の直前で交通事故に巻き込まれてしまい、結果として夢を絶たれてしまったり、


そしてある仲間は当時流行っていたASAYANというオーディション番組(ケミストリー、モーニング娘などを輩出)内のサッカー企画をきっかけに某Jチームとプロ契約まで漕ぎつけるが、直前に脳に腫瘍が見つかった為、志半ばであきらめるという決断を余儀なくされたり。


華やかな表舞台の裏には、数え切れないほど、沢山のエピソードがあるわけで。


そして現在は。


皆元気そうにやっています。


アラフォーになった今でも、たまに顔を見せれば、すぐに打ち解け合う。


そんな適度な距離感で成り立っている素晴らしい関係性。(皆に言われるのは、私は一番面影がないそうです。劣化。)


結論としてサッカーとは多くの魅力が詰まった、人を大きく成長させるスポーツであり、夢が叶わなくとも、それなりに続けていれば、きっとかけがえのない財産を生み出してくれます。


以上、最後までお付き合い下さって誠にありがとうございました。


サッカーと人間教育。プロにはなれなかったけど、得たもの。


プロサッカー選手を経て指導者として国内初の試みを続ける友人が出版した本


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